昔から多くのどんなジャンルの雑誌であっても
存在するコンテンツ
それが「書評」と呼ばれるコンテンツ。
それぞれの雑誌や新聞における「メインコンテンツ」ではありませんが
常に掲載されていると言うことは
一定の支持がるからに他なりません。
それが、インターネットの世界が一般認知されるにつれて
マスメディアだけではなく、私たち個人が「本の紹介=書評」を
することができるようになりました。
それによって何が起こったか?
需要と供給のアンバランス化
です。
書く人が増えれば、需要が増えますが
読み手の数がそれに比例して増えない限り、当然バランスが崩れます。
すると、せっかく書いているのに読んでくれる人が少ない
という悲しいことになるわけです。
あれ、では雑誌メディアの書評がなぜなくならないのか?
と考えてみれば、そこには
・ネットメディアにはない安心感
個人が勝手に書き連ねているものではないということ
・現時点ではまだ存在している、ネットメディアとリアルメディアの
権威性の違い
があるわけです。
でも、一部の書評メルマガやブログは読者もたくさんいて
実際影響力も大きい。
その理由を考えてみれば
・継続して昔から続けている
=信頼感を獲得している
・書き手の個人的な想いが伝わる一貫性のある書き方
=親近感を獲得している
・これまでのメディアにはない「絞った属性」での書き方
=希少性を持たせている
と、「需要と供給のアンバランス」を越える「価値」を提供できているわけです。
さて、これらのいわゆる「情緒的価値」ですが
一朝一夕にできあがるものではないことは、
明らかだと思いますが、もしあなたがいま書評メルマガやブログを
されているのであれば、このポイントどうやって
クリアしますか?
1 ■勉強になりました
書評メルマガを放置中のワタクシ・・・
今日の記事に刺激を受けました。
ターゲットを働く女性に絞って、悪女切り口で復活させようと思いました。
もうひとひねりアイディアを熟成させなくちゃですが。
http://ameblo.jp/naoceo/
2 ■簡単です!
情報にニーズがあるわけですから、切り口を変える。
個人の情報に信頼性がないなら、信頼性のある方に語ってもらう記事にすればいいのです。
その方法は、一言で言うと...ここには書きません。(笑)
冗談はさておき、色々ありますよー
ちなみに誰でもできることなら、
1冊の本の書評を1つのブログで書く
一人の著者さんの書評を1つのブログで書く
なんてのも切り口です。
要するに暴言を吐かせていただくと、本当に暴言ですよ。許してくださいね。まるるちゃんのブログだから書けるんですよ。
書評ブログって外部から見たら面白くないんです。
面白いのがほとんどない。
なら、面白い切り口にすればいいってことです。
本をたくさん読んでインプットしているはずだから、このアウトプットに努力すればいいんですね。
いっぱい紹介する必要もないし、週1回の更新でも面白いブログにはきっちりアクセスがつきます。
切り口。
ここに死ぬほど頭を使うといいですねー
http://www.soholife.jp/
3 ■Re:簡単です!
自分で読んでいて、すごく自分が嫌なやつに見えました(笑)
でも、ここだけの話ということで。(^^;
でも、こういう本音ってブログやっていても届かない本音です。
直接お会いしてて、まるるちゃんと私のように友人関係できていたら、言えることなのですが。
公開しても良いのかは微妙。
怒らないで考えていただけた方には、違った視点ということで参考にはなるはずではあります。
http://www.soholife.jp/
4 ■確かに・・・・
面白くない書評ブログは
私もあまり読みませんね。
同じ情報でも切り口が大事って
本当にそうだと思います。
私はあまり書評書いていないですが、
耳が痛い記事です・・・勉強になります★
http://ameblo.jp/aoyamahanako/
5 ■望むところですね(^o^)/
はじめまして!
記事を拝見しました。
私はそもそもアクセス数を増やすことに何の意義も見出だせません。
匿名性と無償性がユーザーブログの最大の特徴にして、最大の存在価値と思うからです。
前にやっていたブログはアクセスが増えすぎたので止めて、形式もタッチも改めて今のブログをやっています。
もし無償でなければ、実名にて批判すべきは批判しもっと質の高い記事を提供できます。
要するにブログをマスメディアとは違い情報の受けてと送り手を逆転する可能性を潜在した新メディアと捉えているということです(*^_^*)
http://ameblo.jp/jiyuu74/
6 ■今さらですが
ブログ記事の元ネタにさせてもらいました